西成おじさん

1ヶ月ほど前

朝電車に乗っていると鼻にツンとくる臭いが。
一瞬横の人を見て「洗濯生乾きかよ〜」と思ったが違った。
臭いの根源は視野の外にいた髪の毛ボサボサ、ズボンゆるゆるのおじさんだった。
風体はホームレスのそれだ。
二駅、5分もすると降りて行ったが、足取りはおぼつかなく壁を伝って歩いて行った。
私は「大丈夫かな」という気持ちから自然と目で追っていたのだった。

そこへ思いがけず耳に飛び込んできた「よかった降りてくれて、西成おじさん」ーー
左斜め後ろから聞こえた声に振り返ると30代くらいの男がイヤフォンをつけて電話で喋っている。
「!?」
怒りを覚えた。
不愉快だった。

なぜか。
よたよた歩いて行ったおじさんに、私は死んだ父親の姿を重ねていたからだった。

父は不器用な偏屈でアルコール依存症で死んだ。
が、父はまた賢く芯がありながら面白く、情深く生きた人だった。
若い時には自ら奮い立って勉強し、いい大学に入って、サラリーマンになって、お金も貯めて残してくれた。

しかし父も、アルコール依存により一歩間違っていればどうなっていてもおかしくない。

金なんて、持ち主がどれだけ人間的にできた人でも一瞬の過ちで(過ちでなくても)消えて無くなるものではないのか。

話を戻すとその「おじさん」は。
今、何か悪いことをしたのだろうか。
電車に乗っていただけだ。臭いはキツかったかも知れないが、私にとってはそれだけだ。
そして過去、悪いことをしたのだろうか。
そんなこと誰にもわからない。

30代くらいの男は。
車内で他愛ない話をコソコソ電話で話していた。
彼はおじさんを不愉快で迷惑に感じたのかも知れないが「降りてくれてよかった」を車内にいる人にも、電話の相手にも聞かせる必要はない。
私にとっては彼が不愉快で迷惑だった。
「電車長電話男こそ降りてくれたら良いのに」

考えすぎかも知れないが

彼は黙っていれば良かったのか。
じゃあ、ここでこれを書いている私も彼と同じ、負の感情の伝染元か。

そうはなりたくないし、私の真意はこうだ。
人の背景を知らずに適当に判断し、偏見揶揄するのはバカに見えるから気をつけよう。

子供達よ、そんな大人にならないでくれ。

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