おはようございます。
まだまだ人生這い上がりたい!と考える葦(あし)です。
今回はどん底の人生から弁護士にまで這い上がった、大平光代さんの著書「だから、あなたも生きぬいて」(2000年出版)から学びます。
【あらすじ】 だから、あなたも生きぬいて
私の考える結論。
「だから、」というタイトルの頭の部分がかなり重要。
苦境にある人に「(しんどい)それでも」と言うのではなく「(この先に何かある)だから」と語りかける。
※「(私にもできた)だから」ではない。
詳細は『【まとめ】大平光代さんだから成功することができた、は誤り』に書きます。
光代さんは中学校でのいじめをきっかけに、自殺未遂、非行、極道の妻へと転落の人生をあゆみます。
しかしメンター、後の養父との出会いで他責をやめ、自分の力で更生。
宅建、司法書士、司法試験と突破し弁護士となるまでの半生が描かれています。
以下ではこのストーリーからの学びを記していきます。
親ガチャと他責・自責
「確かに、あんたが道を踏み外したのは、あんただけのせいやないと思う。親も周囲も悪かったやろう。でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのは、あんたのせいやで、甘えるな!」
メンター・大平さんが著者の光代さんをしかったセリフです。
この言葉はすべての人に有用ではありません。
あの時の、22歳の光代さんにだから響いたのだと思います。
神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えてください。
―ニーバ―の祈り―
という言葉がある様に、自分ではどうすることもできないことも世の中実際問題存在します。
メンター・大平さんも
「子供は親を選べない。子供には何の罪もない。」
と。
恵まれない状況に陥った顛末を個人に、まして子供に押し付けることは間違ってる。
しかしまた、恵まれない状況をすべて周りのせいにしてしまえば自分で道を切り開けない。
22歳の光代さんには勇気を持つタイミングが来たよ、ということです。
【著書から考える】学校でのいじめ(犯罪)問題とできること
呼称
まず「いじめ」という呼称をやめたいと思います。犯罪なので。
(まだまだ「いじめ」と言うのが一般化している状態なので併記の形でいきます)
先生
そして先生、見て見ぬふりや、「握手で仲直り」などと言う人もいた。
いじめ(犯罪)の発生をなくすことは難しいかもしれないが、学んでおくべき。
普段から防御策や対応策を準備しておくべき。
教員免許取得にこの項目はないのでしょうか。
また、学び続ける機会は?
先生という職業がブラック企業の様な労働時間だ、ということも無関係ではないかもしれません。
親
親は子供にとって最後の砦です。
子供の様子がおかしければ気づき、子供からも相談しやすい環境を普段から構築する必要があります。
当たり前ですよね。
ただ、親がコミュニケーション下手(子供との関わり方を勉強しないのは怠慢だと思う)だとその当たり前のことが成り立ちません。
また、親がいじめ(犯罪)問題についての知識がないと子供を救う対応ができません。
自分の勝手な価値観、この書籍で言うところの「世間体」などで、子供に犠牲を強いてしまうなんてもっての外。
「学校に相談したら万事解決する」を前提にしていてはダメです。
現状、学校に状況の改善を求めるばかりでなく、能力の有無を見極めるという視点を忘れてはいけません。
学校が頼りにならないなら、あらゆる次の手を準備して子供に示す。
「色々なやり方があるから心配しなくていいよ。」と。
それが親の役目だと思います。
被害者本人と友人と社会
学校も家庭もアテにならない場合、子供本人が自らSOSを発信しなくてはいけません。
機転の利く優しい友人でも。
そこのあなたも。
本人に行動させるのはとても心苦しい事ですが、先にきっと何かある。
『だから、生きぬいて』
文部科学省こどものSOSの相談窓口
24時間通話無料
☎0120-0-78310
法務省子どもの人権110番
朝8時30分から夕方5時15分まで(月曜日から金曜日まで)
☎0120-007-110
児童相談所虐待対応ダイヤル
通話料無料
一部のIP電話からは繋がりません
☎189
虐待の相談以外にも子どもの福祉に関する様々な相談を受け付けています
児童相談所相談専用ダイヤル
☎0120-189-783
都道府県警察の少年相談窓口
地元の相談窓口(電話・SNS・メールなど)
他にも。一覧はこちら。
メンター・大平さんの様な、十分に理解のある大人が増え、社会で子供を守れるようになることを願ってやみません。
私自身も学び続けます。
【まとめ】大平光代さんだから成功することができた、というのは誤り
そもそもこの本も、どの本も、
学びは他人の失敗から得るものだと考えた方がよいと思います。基本的には。
故 野村克也監督に言わせれば「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」です。
著者の光代さんもどちらかと言えば
「環境によって非行に走りたくなる気持ちも分かるけれど
そうしたところで何倍にもなって自分に跳ね返ってくるからコスパ悪いよ。」
という気持ちで書かれたのではないでしょうか。
これを一読者が
「光代さんはお金に余裕があったのではないか」とか
「光代さんはもともと頭がよかったから」とかの理由をつけて、
押しつけがましいと断罪するのがまさに他責であって。
そんなことを言い出せば
光代さんが司法試験に挑んでいた時代は現在のようなインターネット環境はなかったわけで。
時代背景や個々人で同じ条件の人間なんていない。
主張自体も成り立たないし、そもそもそんなことを伝えたいのでもないと思います。
大平光代さんは、
- 個人でどうにもならない問題がある
- かと言って他責ばかりもダメ
- 人の助けを借りながら自力でも頑張る
という、問題・失敗・気づきの一例を示してくれています。
そこから何を学ぶか、何も学ばないかは、あなたのタイミング次第なのかもしれません。
ではっ。
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