「あんなに元気で、みんなを引っ張るタイプだったのに、どうして……?」
教室では明るくて、行事では先頭に立つタイプ。そんなお子さんが学校に行けなくなって、このページにたどり着いた方もいるかもしれません。
活発な子の不登校は、周りに理解されにくい悩みです。 「元気そうに見えるけど?」「繊細って感じじゃないよね?」 そんな言葉に少しずつ傷つきながら、夜中に一人でスマホで調べ続けてきた方も多いのではないでしょうか。まずは、ここまで本当にお疲れさまです。
わが家の娘も、幼稚園では“小さな先生”と呼ばれるほどしっかりもので、小学校でも学年行事の代表役に立候補するような活発な子でした。
不登校とは無縁だと思っていたその娘が、小学2年生の秋、突然「九九の暗唱ができない」と立ち止まってしまったのです。
やがて新学年になり、先生や友人の支えで五月雨登校にまで復帰しましたが、「苦手な授業は泣いて避ける」という状況は変わらず、2年以上もの間、出口の見えない模索を続けました。
この記事では、HSS型HSC(活発なのに人一倍繊細)という気質の娘が、五月雨登校から「毎日朝から放課後まで、自分の意思で登校する」ようになるまでに、わが家が実際に何をやめて、何を変えたのかを書いています。
途中で、わが家が最終的に頼った復学支援サービス《スダチ》の話も出てきます。良かったことも、正直に不安だったことも、そのまま書きました。
HSS型HSC?活発で優等生だった娘が初めての壁から不登校に
完全不登校になった後、必死に情報を探す中で知ったのが《 HSS型(刺激追求型)HSC 》という概念でした。
典型的な「繊細さん」だった上の子とはあまりにタイプが違うため、娘もHSCの一種だと思い至るまでに、ずいぶん長い時間を要しました。
外向的で好奇心が強い一方で、内面は人一倍繊細で傷つきやすい。
そんな「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる」ような気質を持つ娘にとって、学校生活のささいな出来事が、「完璧な自分像」を崩壊させ、耐えがたい恐怖になっていったのです。
特に小2の秋、九九の暗唱への不安や、未提出者の名前が黒板に張り出されるといった「失敗が可視化される日常」が訪れたことが決定打となりました。
「優等生キャラ」でありたかった娘にとって、できない自分を突きつけられることは、世界が崩れるほどの衝撃だったのかもしれません。
私はあらゆる支援機関に助けを求め、本やネットの情報を漁り、必死に対応を変え続けましたが、行き渋りは加速する一方。
当時の私が陥っていた「良かれと思って」の対応が、実は娘の自立を妨げる要因になっていたのです。
- 共感と正論による励まし(親が伝えたいことを言う)
「お母さんも暗唱は緊張したよ」「ほとんどできてる、大丈夫だよ」「自信がないなら練習するしかないよ!」「失敗は成功のもと、大したことないよ」
- 生活の一部分で「課題の分離」を意識した
“暗唱の練習や宿題をしようがしまいが、困るのは娘であり、それも人生経験である”という考えから「本人の課題は本人に任せる」対応をした。
- 「味方としての適切な支援」を課題の分離とともに提案
また、「お母さんは味方だから、助けが必要なら言っておいで」とも伝えておいた。
が、娘の行きしぶりが加速したことで、無理に登校させたり、逆に休むことを許容したりと、対応の一貫性(親としての軸)を失った。
- HSS型HSCの概念を知り、娘の特性を「繊細な気質だから、家でも学校でも配慮が必要だ」と捉え直し、先生にも「できる範囲でのサポート」をお願いする姿勢に切り替え
周りの優しい大人全員で、娘の顔色を伺うようになった。
これらの対応は、今振り返ってもあながち間違いではありませんでした。
しかし、タイミングや親の覚悟という面でボタンのかけ違いがあり、娘に響かせることができなかったのです。
私はどうしたら良いのか分からないまま「娘の生まれ持ったHSC気質のせいで、みんなと同じように学校に行けないのは仕方がないのでは」と考えるようになりました。
「周りに理解を求め、環境を整え、無理のないペースで過ごさせることが親の使命だ」 そう信じて、学校にも特別な配慮をお願いし、腫れ物に触るように接する日々。
しかし、これこそが娘の自立の芽を摘む「落とし穴」でした。
合理的配慮の違和感
小学校の先生方は、本当に熱心に関わってくださいました。
娘が少しでも学校と繋がれるようにと、特別な配慮をたくさん行ってくれました。
例えば、授業内も母の付き添いOK、詳細な時間割表の作成、小さなお手紙で意思疎通を図るなど…
こうした「特別扱い」のおかげで、娘は五月雨登校ができるまでになりました。
先生方の献身的なサポートには今でも感謝しかありません。
しかし、その一方で私の心には、小さな、でも消えない違和感がありました。
「この手厚い配慮の中にいれば、娘は傷つかずに済む。でも、いつまでこれに甘え続けていいんだろう?」
「私が『繊細な子』というレッテルを貼って守り続けることが、本当にこの子の自立した社会生活に繋がっているんだろうか?」
そんな葛藤の中で出会ったのが、スダチのメソッドでした。
そこで私は、一番聞きたかった答えと、親にとって必要な「覚悟」を突きつけられることになったのです。
信じて手放した特別扱いと真の原因
スダチのサポートが始まり、私はこれまでの対応を根本から見直すことになりました。
家庭や学校での娘に対する “配慮” をやめ、スダチ式のメソッドで “自立” を促す方向へ振り切ってシフトしたのです。
娘の力ではなく私の不安が、娘を特別扱いの枠に閉じ込めていたという事実を真正面から受け止め、「優しいふりして顔色を伺うこと」をやめる。
これは、突き放すことではなく、娘の中に眠る「自分で考える力」を100%信頼するという、親としての自立の始まりでもありました。
正直、不安でした。
「2年前、厳しい対応をしても行き渋りから不登校への流れを止められなかった。だから学校にもあらゆる配慮をしてもらって、なんとか五月雨登校しているのに…それを無くして娘はどうやって生活していくの?」と。
しかし、サポートの中で気づかされたのは意外なことでした。
以前私が必死でやっていた「課題の分離」や「味方としての適切な支援」といった方向性自体は完全な間違いではなかった、ということです。
問題は、「状況を見極めた対応ができなかったこと」と「一貫した軸を持ってやり通せなかったこと」。
この微妙なズレを正確に指摘し、具体的な改善策を示してくれる場所に、私はやっと出会いました。
長い間、暗闇の中もがいていたところに、初めて全てが腑に落ち、光が差した瞬間でした。
「再登校への5つの条件」──わが家の場合
「自立を促す方向へシフトした」と言っても、具体的に何をしたのか、イメージしづらいですよね。
実は、サポートの内容をここで詳しくお伝えすることはできません。
というのも、再登校までの道筋は、各家庭の状況やお子さんの特性に合わせて一つひとつ組み立てられるものだからです。
同じ言葉や対応でも、タイミングや順番が違えば、期待した結果につながらないこともあります。
私自身、わずかな判断のズレに長い間苦しみました。
だからこそ、一部だけを切り取ってお伝えすることで、かえって遠回りをさせてしまうことは避けたいと考えています。
その代わり、スダチが公式サイトで公開している「子どもが自ら再登校する5つの条件」をご紹介します。
① 自己肯定感を高める(正しい褒め) ② 正しい生活習慣 ③ 正しい親子関係 ④ 考える時間を与える(デジタル機器の使用を適切に管理する) ⑤ マインドセットを変える
この5つの条件それぞれについて、「わが家の場合はどうだったか」を、書ける範囲で正直に書いてみます。
① 正しい褒め|私の「すごいね」は届いていなかった
子供が幼い頃に読んだ子育て本に「失敗は事柄のみを指摘し、成功は人格を褒めましょう」とあり、実践してきてしまいました。
完璧主義の娘にとってそれは、裏を返せば「できない自分には価値がない」と聞こえていたのかもしれません。
褒め方を根本から見直し、「子どもが話したいこと」を引き出し、「質問しながら褒める」よう意識すると、娘の自己肯定感が見て取れるように変わっていきました。
② 正しい生活習慣|「学校に行けるか」より先に、毎日の土台
登校できたかどうかで一喜一憂するのをやめ、起きる・寝る・家族で食卓を囲む、という毎日の土台を家族のルールとして淡々と積むことから始めました。
遠回りに見えて、これが娘の変化の土台になりました。
③ 正しい親子関係|娘を「おひめさま」にしていたのは私だった
振り返れば、腫れ物に触るように顔色を伺い、先回りして障害物を取り除く──わが家はまさに「娘がおひめさまの家」になっていました。
何か壁にぶち当たった時に、黙るか甘えるという選択肢しか持たない娘。
大人が言語化を手伝ったり、何か提案したりしてきましたが「自分の考えを自分の言葉で発言する」という成長の機会を、私が先回りして摘んでいることでもあったのです。
この関係をやめ突き放すことが、私にとって一番覚悟の要る部分でした。
④ 考える時間|退屈から逃げられる道具がいつでも手元にあった
デジタル機器、その他の娯楽との付き合い方を、家庭として見直しました。
暇つぶしがいつでも手の中にあると、子どもは自分の課題と向き合わずに済んでしまいます。
「考える時間」ができてから、娘は自分の頭で考えて動き出したように思います。
⑤ マインドセット|娘の白黒思考がやわらいだのは、私が変わった後だった
「失敗したらどうしよう」という娘の不安を、正論で打ち消すのをやめました。
まず気持ちを受け止め、リフレーミング(物事を別の角度から見て捉え直)してみせる。
そして何より、親の私自身が、登校できた日もできなかった日も態度を変えず、どっしり構えられるようになること。
娘の「100か0か」の思考がやわらいだのは、私のマインドが変わった後でした。
──こうして5つの条件だけを並べると、「どこかで読んだことがある」と思われるかもしれません。実際、一つひとつは育児書やネットでも見かける言葉だと思います。
わが家が2年間の独学で越えられなかったのは、この条件を「うちの子の場合、今日はどうするか」に落とし込み、軸をブレさせずにやり通すことでした。
毎日その日の子どもの様子を報告すると、翌日には家庭の状況に合わせた対応が返ってくる。
この伴走があって初めて、私は最後までやり通せたのだと思います。
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親が過干渉をやめ家庭の土台を築くと、娘は自分の足で歩み始めた
特別扱いをやめ、家庭での生活を正すと、変化が起こりました。 ただし最初に起きたのは、良い変化ではありません。反動で、登校はむしろ遠のきました。
しかし、これはスダチのサポートの上では想定済みと聞いていたため、不安をぐっとこらえることができました。
(もし独学でやっていたら、この時点で「やっぱり逆効果だ」とやめていたと思います)
すると、しばらくして娘は自分の頭で思考して、朝から放課後まで、付き添いもなく一人で登校するようになったのです。
また、表面的な行動だけでなく、内面から整っていく様子も感じられました。
これまで私が必死に励ましてもできなかったことを、今では私が感知する間もなく、娘自身の力でこなしてくるようになったのです。
失敗しても、躓いても、「自分でなんとかできる」というレジリエンス(回復力)が、親のいない外の世界で呼び覚まされ、育っていったのだと思います。
リアルな話、もちろん今でも波はあります。
どうしても気持ちの整理がつかず、遅刻や欠席もしました。
しかしその回数も激減し、1学期中に(体調不良も含め)数日程度。
「白黒思考」「100or0思考」はやわらいで、「すべてがダメではない、できることだけでもやろう」という気概が見えるようになりました。
子供を信じることで、「私自身の人生」も手に入れた
スダチのサポートを受けてから、子供の変化に伴い、私自身の生き方も大きく変わりました。
“子供の問題に介入しないことが、結果として子供を一番助けることになる。”
この逆説的な真理を再確認し、貫き通し、実際子どもの生き生きとした姿を取り戻せたことが、私にとって最大の親としての自信に繋がりました。
今でも娘が落ち込んで立ち止まった時、歯がゆい気持ちを感じることはあります。
しかし「これは娘自身が考え、自分と向き合うべき大切な時間だ」と信じて待てるようになりました。
すると不思議と、娘はまたすぐに自分の力だけで学校へと足を向けるのです。
兄妹の成長|自分なりの「戦い方」を見つけた子供たち
自立とは、決して「みんなと同じことを完璧にこなすこと」ではありませんでした。
潔癖さと腹痛に苦しんでいた“典型的なHSC(繊細さん)”の息子も、不登校から復帰し、自分なりの「社会との折り合い」を見つけ始めていました。
中学3年生の夏、彼は悩み抜いた末に水泳の実技には参加しない選択をしました。
しかし、彼は滅入ったり投げやりになったりせず、毎時間プールサイドで見学・レポートをみっちりと書き込み、自分にできるベストを尽くし続けたのです。
その結果、水泳の実技なしでも最高評価の成績を獲得しました。
自分の気質や体質を理解した上で「今の自分にできるベストは何か」を考え、行動し、次の一歩を踏み出し、成長し続ける。
それこそが、今までの自暴自棄や開き直りとは違う「自立」の姿でした。
気質は変化しなくても社会で生きていくために自立は必要
HSCという人一倍繊細な気質は、消えてはいません。
今でもわが子たちは人より敏感で、自己のこだわりの波に飲み込まれそうになることもあります。
しかし、私の親としての軸はもうブレません。
子どもが躓いたとき、一緒に慌てて “特別な道” を作るのではなく、「あなたなら大丈夫」と背中を見守る。
そんな小さな積み重ねが、子どもたちの世界を広げていきました。
あんなに “配慮” が必要だと思い込んでいた娘も息子も、不登校や五月雨登校から抜け出しました。
友人とともに、楽あれば苦もある学校の教室に毎日身を置き、充実した生活を送っています。
子どもの生まれ持った性質がきっかけで、登校が難しくなる、ということは現実問題としてあると思います。
しかし延々と諦め続ける必要はありません。
むしろ、不登校・五月雨登校は、親子で「この豊かな個性をどうやって生かしながら社会で生きていくか」を見つめ直し、「強さとしなやかさ」を手に入れる機会だったのだ、と私は確信しています。
もし、あなたが「うちの子はHSCで学校へ行きづらいかも」と悩んでいるのなら、 どうか、「朝から放課後まで、教室へ毎日登校」という可能性を捨てないでください。
私は、「親が一貫した軸を持ち、状況を見極めながらアプローチすることで、子どもは自分の本来持つ力を呼び覚ますことができる」と実感しました。
そして、わが家にとって、その具体的な方法を毎日隣で教えてくれたのがスダチでした。
もちろん、どの支援機関を選ぶか、あるいは支援に頼らず自分たちなりの生活を歩んでいくか──
何が最適解になるかは家庭ごとに異なると思っています。
私は第一に、社会の宝である子どもたちが、本来持っている力を生き生きと発揮できること・世の中の親子が幸せであることを心から願っています。
あなたが悩みにしっかりと向き合って決めたその一歩が、あなたと、そして大切なお子さんの未来を、きっと輝かせてくれると信じています。
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あしだ ゆに|2児の母
当時、小・中学生だった子ども2人が、不登校・五月雨登校を合わせて2年以上経験。
スクールカウンセラーや公的機関では解決できず暗中模索していた時、《スダチ》に出会い、下の子は約2週間・上の子は約4週間で再登校を果たしました。
